ボッコちゃん、あらすじ。
あるバーのマスターが趣味でロボット作った。それはとても美人で精巧なロボットだ。それはボッコちゃんと名付けられた。といってもボッコちゃんは複雑な動きや会話はできない。おうむ返しのように、お客さんに簡単な受け答えができるだけだ。
だが誰もボッコちゃんがロボットだとは気づかなかった。ボッコちゃんの美しさと会話の滑稽さが評判を呼び、店は繁盛した。
バスターは時々しゃがんで、ボッコちゃんの足に取り付けられたプラスチック菅から酒を回収し、お客に飲ませた。マスターはちょっとケチだったのだ。そんな時、ある常連の若い男がやってきた。彼はボッコちゃんに惚れ込み、足繁く通っていた。だがその時の目には怪しい光が宿っていた……
解説
星先生の作品でも有名なのがボッコちゃんだ。バーにたたずむミステリアスな美女ロボットという設定が良い。小説の中で、絵が浮かぶという表現がよく使われるが、まさにこれはそんな絵が浮かぶような設定だ。
ここからは勝手な想像だが、まず星さんは美女のロボットの話を作ろうと思いついた。どういう設定がいいだろう。そこでバーが浮かんだ。バーで一人お酒を飲む美女。現実でも、バーで美女が一人で酒を飲んでいたら、目を奪われるし気になってしまう。そのミステリアスさに、美女の正体を知りたくなる。この設定でお客さんをつかめている。
続けて星さんの頭にオチが浮かんだのではないだろうか。まだ未読の人のために隠しておくが、このオチでは美しさと残酷さが同居している。凄惨な話なのに、妙に美しいのだ。それはロボットのボッコちゃんが持っている美しさと無慈悲さをメタファーにしているからだろう。
物語を面白くするには、対比するもの一緒に取り入れるという方法がある。このボッコちゃんのラストシーンはまさにそうだ。美しさと残酷さが見事なまでに共生している。
このラストシーンがなぜこうなったのか? その要因に、バーのマスターのケチさがあった。ボッコちゃんが飲んだ酒を足元に留めておき、それを回収して客に提供するのだ。もしばれたら、客にボコボコにされるくらいのことをしている。でもあまりにせこすぎて、ちょっと笑ってしまうところもある。
このマスターの俗物さも、ボッコちゃんの美しさを対比させる要素の一つである。この俗物のせいで、最後のラストシーンに至るのだ。だからラストシーンには、美しさと残酷さの上に、このありさまを導いた俗物という粉もふりかけられている。このスパイスが実にいい味をだしている。ボッコちゃんを名作に導いたのは、このバーの俗物さではないかとも思われる。
まず美女のロボットを登場させる。続けてラストシーンが頭に浮かび、そこから逆算で物語を作り上げる。こんな風にしてボッコちゃんは作られたんじゃないだろうか。ラストシーンが頭に浮かび、なぜこうなったんだろと逆算で物語を作り上げる手法はここから学べる。それをこれだけの枚数で仕立て上げるのだ。さすが星新一先生だ。
次回は『おーいでてこい』をとりあげます。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
コメントを残す