幼稚園児の娘に、「なぜ夜になったら月って光ってるの?」と訊かれた。
そこでなんとなく「夜になると男の人たちの金玉がふわふわ浮かんでいって、それが世界中から集まって光っている」というファンタジーな答えをした。
すると、「そうなん。あれ金玉なん」と子供が目を輝かせて大喜びした。
それからというもの、そのファンタジー話を幼稚園中で言いふらし、夜に男性を見ると、
「あの人の金玉今浮かんでんの?」とひそひそと尋ねたり、
「男の人って金玉があるから女の人みたいに宝石好きじゃないんでしょ。でも夜は金玉ないから、宝石つけたくなってるんちゃう」という謎の想像力を働かせるようになった。
なぜこの嘘が、踊るヒット嘘となったのだろうか?
それはやはり、『金玉』という言葉の強さだろう。
金玉という言葉が、どのようにして生まれたのかは定かではないが。このワードを考え出した人物は、糸井重里さんも裸足で逃げ出すほどのネーミングセンスの持ち主だろう。
たしかに金玉ほど男にとって大切なものはない。なんせ生まれたときから、袋で大事に保管されている代物だ。
あのしわしわ模様が、高島屋の包装紙に思えてならない。
格闘技の試合を見ていても、あれほど屈強な格闘家が、金玉に蹴りを入れられると悶絶する。岩のような拳を幾度も顔面に叩きつけられても、
「どうした。どうした。そんななまくらパンチ効いてないぜ」
と頬をつき出して挑発するようなファイターが、金玉に打撃を受けると、
「そればっかりなはしやでえー。おかあちゃん、助けてえ」
とマットに倒れこんでのたうちまわる。
金玉ほど痛みに弱いものはない。もしギャングに捕まり、「おまえを一発殴る。どこか殴る箇所を言え!」と恫喝されたら、金玉は最大のNGワードだろう。もっとも口にしないワード、堂々一位だ。
痛みがあるものは、大事なものでもあるという証拠でもある。つまり金玉は、男性においてとてつもなく大切なアイテムなのだ。
だからネーミングする際には、その大切さを前面に押し出さなければならない。
まさに難問だろう。男ならば、誰しも金玉の重要性を認識している。それを、できるだけ女性にわかってもらわなければならない。
そこで考案されたのが、『金玉』というワードだ。
金ほど人類にとって大事なものはない。人類の歴史とは、金とともにあったと言っても過言ではない。
つまりこの玉の大切さを表現するにおいて、『金』という言葉をつけることは、驚異的な発見だろう。
金玉という響きを聞いて、「この玉は大切なものなんだな」と襟を正さないものはいない。
さらに語呂も素晴らしい。
キンタマ……
なんて簡潔で言いやすいんだろうか。たった四文字の言葉で、この二つの小さな玉の大切さが如実に表現できている。抜群のネーミングセンスだ。
もし金玉が金玉という言葉でなかったならどうだろうか?
『金玉』が『大事玉』だとしたらどうだろう?
「大事玉なんていってもそれほど大事じゃないんでしょ」と痴話喧嘩をした女性が、パートナーの金玉を蹴り上げる事故が続出したはずだ。
その女性が牧場育ちの野性味あふれるアメリカ女性だとしたら、生死にかかわる一撃となっただろう。
大事という抽象的な概念では、金玉の大切さは女子には伝わらないのだ。
この金玉という珠玉のネーミングがあったからこそ、金玉蹴りあげ事故は減っている。金玉の命名者になぜノーベル平和賞が受賞されていないのだろうか? 不思議でならない。
世の男性諸君、今日は月を見て、金玉の名付け親に感謝の気持ちを捧げよう。
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