『OFLIFE』という関西ローカルのドキュメント番組をよく見る。ある分野のスペシャリストが、もう一つの才能を発揮する姿を追う番組だ。芸人さんが取り上げられることが多いのと、お世話になっていた放送作家の先輩が担当しているので、ほぼ毎週見ることにしている。
今回は芸人の矢部太郎さんが取り上げられていた。
矢部さんといえば、『大家さんと僕』という漫画が大ヒットし、一躍有名になった。僕も読んだのだが、矢部さんの人柄と素朴さが滲み出るような作品だった。
矢部さんが二十代の頃、僕が担当していた番組で、矢部さんはレギュラーで出演されていた。矢部さんは緊張すると股間を握りしめるという奇癖の持ち主で、そこをよくMCにいじられていたのを覚えている。
あのときは自信なさげな印象だったが、このOFLIFEではそのときとは印象が違った。ドキュメント番組ということもあるのだろうが、目に力があった。売れるというのは凄いことなのだ。
番組の中で矢部さんが面白いことをおっしゃっていた。矢部さんのお父さんは実は絵本作家で、
「上手い絵が一番面白くない。写真みたいな上手い絵は面白くない」
とよく言われていたそうだ。
それから矢部さんは「下手でも面白ければいいじゃないか」と思うようになったらしい。
たしかにお世辞にも、矢部さんのマンガは上手いとは言えない。でも面白い。下手でも面白いから売れたのだ。
小説でも上手い文章を書く作家さんはたくさんいるが、それが面白いかどうかは別問題だ。僕も上手くて面白くないものよりも、下手で面白いものを好む。
自分自身が小説を執筆するときも、上手い文章を書くのではなく、読みやすくてわかりやすい文章を書くようにしている。
ちょっとでも凝った表現を書いてしまったら、「ああ、だめだ。だめだ。また上手く書こうとしている」とはっとして削除することが多々ある。
あともう一つこの番組で印象的だったのが、新潮社の編集者である武政桃永さんの役割だ。大家さんと僕は、8コママンガという形式で描かれている。これはエッセイマンガでもあまりない形式だ。
だが最初は4コママンガの形式でも矢部さんは書いていた。長年ある形式とは偉大なもので、4コママンガというジャンルがなぜ確立したのかというと、4コマというのは書きやすく面白くなりやすいからだ。一コマで一コマで起承転結きっちり落とし込めるので、マンガとして見やすくなる。
だが編集者の武政さんは、「4コママンガは鋭いオチが必要だから、矢部さんには向いていない。8コマだと鋭いオチがなくても読んでいける。矢部さんのテンポに合ってるんじゃないですかね」と指摘された。
「いや俺も鋭いオチ描けるよ」と矢部さんはむっとされたが、今ではその意見に従ってよかったと言われていた。
たしかに矢部さんのマンガは普通のマンガならばいらないコマが多い気がする。漫才でいえば、余計な間があるという感じだろうか。だがそれが矢部さんの味になっている。これが4コマならば、これほどヒットしていないんじゃないだろうか。
売れる作家と売れない作家の違いは、こういう作家の能力を見抜いてくれる編集者さんと出会って、その意見に素直に従えるかどうかという気がする。
基本編集者さんというのは、作家にとって耳の痛いことばかり言う。それが嫌だという人も多いだろう。でも客観的な目線というのはそういうものなのだ。そして作家には、それを冷静に受け止める度量が求められる。
『大家さんと僕』は、なるべくしてヒットしたのだ。この番組を見てそう思わされた。
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