僕の憧れの人に糸井重里さんがいる。
みなさんご存知、日本を代表するコピーライターで、ほぼ日刊イトイ新聞の主催者である。僕か、僕より前の世代で「クリエイターになりたいなあ」と考えていた方ならば、誰もが糸井さんに憧れただろう。
何より僕が糸井さんに憧れていたのが、コピーライターでありながら『MOTHER』というゲームを作っていることだ。しかも僕が、世界一好きな企業である任天堂で作られたのだ。これほどうらやましいことはない。
僕が子供の頃になりたかったのは、小説家、放送作家、漫画家、そしてゲームクリエイターだ。
小説家は筒井康隆先生が、「大衆小説は30歳からでないと書けない」みたいなことをエッセイで書かれていたので、30歳からなろうと決めた。(今考えるとまったくそんなことはないと思うが、子供というものはなんでも信じてしまう)
漫画家の方は画力がないことと、手塚治虫先生が睡眠時間二時間で漫画を書いていたと聞いて、
「ぼっ、僕は、はっ、八時間は寝ないとダメな人だから」
と山下清風(若い人にはもうわからない例え)に早々にあきらめてしまった。僕にとって睡眠時間は超大事なのだ。
そこで放送作家かゲームクリエイターが残ったので、ゲームを作るためにコンピューターの専門学校に入った。ここを経て、任天堂に入社してゲームを作りたいなと考えたのだ。
だがそこでプログラミングという面倒なものを勉強しないとゲームデザイナーになれないことを知った。僕はあんなややこしいのをやりたいのではなく、ゲームの企画をやりたいのだ。
しかもそこで知ったのだが、任天堂に入るには結構な学歴がいるということだ。僕は子供の頃に浜学園という関西では有名な進学塾に行っていたのだが、そこで先生が『常在戦場』と書いたはちまきをしめているのを目撃してしまった。その先生の顔が、ヤクザの若頭みたいだったのもよくなかった。
「今のしのぎはネットのできる頭のええ気の弱い学生集めて、そいつら脅して違法ソフト作らせますんや。ほんでそこから金集めたらよろしいんや。組長、もうデリヘルやる時代やありまへんで」
と組長にアドバイスする、頭の切れるタイプのヤクザにしか見えなかった。
「もう勉強はいいや……」
僕は塾をやめて、勉強自体もドロップアウトしてしまった。今考えると、あんな暴力団顔のハチマキ先生にビビる必要がなかったが、幼少時代は気弱な浜ちゃんで有名だった。
任天堂が無理ならばゲームデザイナーもいいやとコンピューターの学校もやめて、放送作家になり、今は小説家になった。
昔占いができる人に、
「あなたは一生趣味のような人生です」
と言われたことがあるが、今のところまさにそんな感じだ。絶賛趣味人生上映中だ。
ということで、今でも糸井さんは憧れの人であり、うらやましい存在である。
糸井さんのような有名人だからこそ、「俺ゲーム作りたい」と言って簡単に作れたんだろう。しかも、世界的ゲームメーカーである任天堂さんで。若い頃からそんな風にずっと思い込んでいた。
だが最近、ある本を読んでいてそうではないことを知った。
まず糸井さんがゲームを作ろうとしたきっかけがあったらしい。
それは糸井さんがドラクエをやり、あまりの面白さに「どうして俺はゲームを作る仕事をしていないんだ」と嫉妬したことが発端だった。
そこで自分もゲームを作ろうと、ゲームの企画を考えはじめた。
ドラクエのような勇者でなく、ごくごく普通の少年が敵に立ち向かってもいいいじゃないか。これはいける。面白いはずだ。そう閃き、夢中でノートに書き留めた。これがMOTHERだった。
なるほど、なるほど、糸井さんほど有名な人だとそのMOTHERの企画が人づてで伝わり、最終的に任天堂のどなたかが聞きつけてゲーム化となったのだろう。それがこれまでの僕の推測だったが、事実はそうではなかった。
さすがの糸井さんもゲームメーカーにつてはなくて、そのMOTHERはノートのまま陽の目を見ることはなかった。
ところがそんなある日、糸井さんがテレビに出演され、ゲーム愛を語ったそうだ。特にマリオに自分がどれほど救われかを熱弁された。
それを任天堂の社長である山内溥社長が見て、
「あの人を呼べないかなあ」
と糸井さんを有識者として任天堂に呼んだとのことだった。糸井さんは、そこでマリオの生みの親で世界的ゲームデザイナーである宮本茂さんに出会い、あのMOTHERの企画を語り、そこから実現に向かったそうだ。
まさかそんなことがきっかけで夢が実現するとは、さすがの糸井さんも思わなかっただろう。
夢ややりたいことというのはノートや内に秘めるものではなく、表に発するものなのだ。僕はその本を読んで、頭をがつんと殴られた気分だった。
僕もやりたいことは山ほどあるが、それは妻ぐらいにしか話していない。これでは絶対に実現するわけがない。
つまり夢ややりたいことというのは、どんどん発信しなければならない。そうしなければ、それは本当に夢のままで終わる。
テレビという大きな媒体ではないが、ブログでも書こう。
そう猛省して、僕も自分のやりたいことを書いてみることにしてみました。
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