ツイッターでこんな漫画を見かけて、なるほどなあと感心した。
関東圏から大阪に帰ってきたなあと感じる瞬間 pic.twitter.com/DpEKjWqf9O
— だたろう (@datarou_origin) 2019年5月16日
たしかに東京の電車に乗って、関西ほどおしゃべりしている人を見たことがない。
この東京人と関西人の違いというのは、放送作家をやっていた時にめちゃくちゃ考えた経験がある。というのも関西の番組では、必ず『東京VS大阪』というのをやるからだ。
東京の人にとって大阪はただの一地方都市であって、ライバルともなんとも思っていない。だが大阪の人間だけは「東京もんには負けん」と東京をライバル視している。
正直作っていても見ていてもこれほど気恥ずかしい企画はなかった。もういい。何度こんな企画をやるんだと思うのだが、やはり関西では視聴率が取れるのか、ずっとやっている。そして不思議と見てしまう。関西人にとっては悪魔の企画だ。
昔はやしきたかじんさんがこの企画の王様だった。
「東京もんがなんぼのもんじゃい」とたかじんさんが吠えるのが決まりだった。そしてたかじんさんがお亡くなりになった今ではメッセンジャーの黒田さんがその座を譲り受けている。関西では平成から令和になる前に、いつの間にか王位継承が行われていたのだ。
ただ小説の登場人物、特にヒーローとなる人物を考えるとき、なぜかこの関西人っぽい要素が入ってくる。
関西人の特徴に『お節介』というのがある。
何かと世話を焼きたがり、あれこれ介入してくる。心の中にスパイク付きの土足で踏み込むのが関西人の特徴だ。
お節介というのは嫌なものだが、ただこれはヒーローの要素でもある。
お節介を良い風に言えば、困っている人を助けることだ。
いや、お節介と困っている人を助けるではニュアンスが違うだろうと思われるかもしれないが、最近の物語では困っている登場人物は、「自分から助けてほしい」と中々言わない。この兆候は昔の物語よりも顕著だ。
ヒーロー以外のキャラクターというのは、読者が共感しやすいキャラクターを配置するのがセオリーだ。
自分は困っている状況にあるが、それを口に出して言いたくない。他人に助けをかりたくない。一人で解決したい。
この心境は現代人に当てはまるものではないだろうか。
だから困っていると言えない人を、ヒーローがお節介にも強引に助ける。これこそがヒーローの必要条件となっているのだ。
つまり関西人を考えるということは、ヒーローを考えることでもある。
はっ、もしかするとみんなそれを知っているからこそ、『東京VS関西』企画は延々と続いているのだろうか。
東京人と関西人の違いを比較検証することで、ヒーローとは何かを分析しているのかもしれない。
いや……考えすぎだな。
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