あらすじ
ある日、大企業の経営者が林の中の道を歩いていると、若い女が現れた。彼女は自分を殺し屋だと名乗った。そして、その経営者のライバル企業の社長を殺してやると提案した。しかも自然死に見せてというのだ。経営者は疑いつつも、女に殺しの依頼をした。すると四ヶ月ばかりたった頃、ライバル企業の社長が死去した。死因は心臓疾患。女は本物の殺し屋だったのだ。
解説
漫才用語で『客を掴む』という言葉がある。それは小説や映画でも使われるテクニックだ。突然現れた謎の女が殺し屋だと名乗る。この一言に、読者は物語に惹きつけられる。ここで客を掴むのだ。
それにしても殺人犯や殺し屋というのは、 読み手の興味を惹きつけるにはもってこいのアイテムだ。これほど多用されているのがよくわかる。
この小説の肝は、この女の正体は何者だろうかと読者に想像させることだ。 銃や毒薬を使わずに人を自然死に見せかけて殺す。 その手法も知りたくなる。
ただこういう話は、その女の正体と殺しの手法に納得感がないと、読者は満足してくれない。膝を打つような答えというのが求められる。話の作り方としては難易度が高い。でも『殺し屋ですのよ』は、見事にその難問に答えてくれている。
こういうオチに納得感が求められる物語は、 結末から思いついてそこから逆算して話を考えることが多い。最初に殺し屋が現れ、その正体は何かを考え出すと、かなりストーリー作りが難しくなる。
以前『宇宙にいちばん近い人』という小説を書いた時、ラングシャックという謎の容器を思いつき、その正体は何かという順序で話を考えたのだが、納得のいく答えを見つけるのに四苦八苦した。
星先生はどっちの手法でこのお話を作られたのだろうか。そこもちょっと気になるところだ。
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