宝は自分の中にあるー自分の才能はなんなのか?ー

昔テレビ番組でこういうのがやっていた。サッカーの長友選手が最初に所属した FC 東京に入団する時のエピソードだ。 FC 東京では入団する前に、選手個人個人に自分の能力の自己分析を行ってもらうらしい。テクニック、フィジカルなどなどの能力を、自分自身で点数付けするのだ。

普通の選手ならば、みんなだいたい平均的な数値をつけてくる。しかし長友選手は、他の能力数値は低かったのだが、走力だけはずば抜けた点数をつけていた。つまり走力が自分の武器であることを、この頃からわかっていたということだ。

自分の才能や長所は何か? 

僕が学生時代はあまりそういうことを気にしてる人はいない感じがした。ところが最近は、この答えを知りたがってる人が多い気がする。時代が変わってきて、以前よりも個々の能力が重要視されてきている証拠だろう。これまでのように人生すべてを組織には頼れない。個人個人がその才能を見つけて発揮し、世の中に発信しなければ生き残れない。みんなそう考えてきたのだ。

ただこの自分の才能というのは、見つけるのが本当に難しい。長友選手は稀有な例だろう。プロになる前の段階で自身の才能と長所に気づいていたからこそ、今あれだけ活躍しているのだ。

例えばお笑いで考えてみる。

漫才という分野では、『それぞれのコンビにしかできない漫才』というのが今強く求められている。たぶん M 1でブラックマヨネーズさんやチュートリアルさんが優勝してから、この傾向が強くなったような気がする。

ブラマヨさんは、以前はオーソドックスな漫才をやっていた。もちろんその時でも面白かった。ただ面白くはあるのだが、他にも似たような漫才をやっているコンビはいた。だから伸び悩んでいた。

そこでブラマヨの二人は、ブラマヨにしかできない漫才とは何か、を突き詰めた。その試行錯誤の結果、ブラマヨの吉田さんの『考えすぎる』という長所を生かした漫才を発明し、見事 M 1チャンピオンとなったのだ。

チュートリアルさんも、徳井さんの『妄想する』という長所を存分に生かした漫才をしている。つまり二組とも、それぞれのコンビでしかできない漫才を発明したということだ。

最近人気の漫才コンビである和牛も、最初は普通の漫才をしていたような記憶がある。その時僕も見ていたのだが、技術的なうまさはあったものの、ネタそのものはそこまで引っかかるものではなかった。

ところがボケである水田くんの『理屈っぽい』という長所を生かした漫才に切り替えたところ、爆発的な笑いを生み出すようになった。

だからこそ今のお笑いコンビは、『自分たちにしかできない漫才とは何か』を追い求めている。僕も何かアドバイスを求められた時は、本人たちは気づいていないであろうそのコンビの長所を見つけ、そこだけに特化するように助言している。

漫才師達は年間何百という舞台に立ち、その長所をさがしあてるために試行錯誤を繰り返す。それでもその長所はなかなか見つからない。才能や長所とは、それほど気づきづらいものなのだ。中には長所が短所だと思っているコンビすらいる。今ならば十年以上かかることも普通だろう。

時々、自身の才能は簡単に見つかるみたいなことを言う人がいるが、そんなことは決してない。それは才能のみを争っているお笑いの世界を見ていればよくわかる。

だから自分の才能や長所を見つけることは相当難しいことだと覚悟したほうがいい。偉そうなことを言っているが、僕自身もまだ明確に自分の才能をわかっているわけではない。見つかっていれば、もうとっくにベストセラー作家になっている。(ほんと人の才能はわかるんだけど、自分のことはなかなかわからない。これも才能の特徴の一つだ)

才能と長所とは、探して探して探しまくった結果見つかる。それぐらいの努力と根性が必要なのだ。

けれどそれを見つければ、宝を見つけたに等しい。

宝は自分の中に必ず眠っている。

必ずあるのだから、いつかは見つかる。あきらめずに探し続ける努力こそが、人にもっとも求められる才能かもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

作家です。放送作家もやってました。第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、『アゲイン』でデビュー。『22年目の告白ー私が殺人犯ですー』は20万部を超えるベストセラーに。他に『宇宙にいちばん近い人』『シンマイ 』『廃校先生』『神様ドライブ』『くじら島のナミ』『貝社員 浅利軍平』などがある。お仕事(執筆、講演)の依頼は、お問い合わせ欄まで。