夢をあきらめるタイミングとは?

芸人さんとしゃべっていてこんな話になったことがある。

NSC という吉本興業の芸人養成所がある。吉本の芸人さんは、たいていがこの学校に入学して芸人になる。

毎年数百人もの入学生がいるのだが、そのほとんどは半年以内に辞めてしまう。 これまではそういう人たちは、ただの根性なしという印象だった。

だが見方を変えれば、彼らは自分たちに才能がないと早めに見切りをつけ、次の道に進むことができた。 だらだらと売れないまま芸人を続けるよりはよっぽど良いのではないか。しばらく売れない芸人を続けていると、こんな考えになるということだ。

つまり早く辞めるのも才能の一つということだ。

若者が会社に入ってすぐに退社することが非難される。仕事の向き不向きというのは、ある程度やらなければわからない。それがわかる前にやめて何になるのだ。こういう意見もよく聞く。でもあきらかに才能がない、この業種に向いていないとわかれば、早めに辞めてしまうのも悪くない。

芸人さんで考えると、このやめるタイミングというのは相当難しい。芸人というのは長くやればやるほどやめられなくなる。

最近では、三十代後半で売れることもある。だから余計やめる時期が難しくなっている。もう少し続ければ売れるかもしれない。その未練が頭の中でちらつくのだ。

たしかにあきらめずにやっていれば売れることもある。それは間違いではない。だからこそ売れない芸人のままでも、みんなその日が来ることを夢見て芸人を続ける。

辞めるか辞めないか……

これを考えるのに、 1万時間理論というものが使えるのではないだろうか。

どんなことでも1万時間やっていれば、 百人に一人の存在になれるという理論だ。1万時間といえば、1日8時間を約5年ほど続ければ、1万時間になる。

廃校先生の解説でもお世話になった藤原先生は、三つの分野でこの1万時間を費やし、それをかけ合わせることで、 オリンピック選手並みのレアな存在になれるとおっしゃられている。

僕であれば、放送作家と小説家という分野で1万時間やってみた。

僕は以前から小説家になりたかったので放送作家をやめたが、ある段階で、自分に放送作家の才能がさほどないと気づいたのも理由の一つだ。

放送作家に重要な能力がプレゼン能力だ。自分が面白いというアイデアを、周りのスタッフにプレゼンする。そうしなければ企画は通らない。だが僕は、その能力が極端に低かった。

放送作家というのは会議でアイデアを出したり、それを台本にするのが仕事だ。だがテレビは、それを最終的に映像という商品にしなければならない。面白いといくら自分が言い張っても、結局そのアイデアを実際の形にするのはディレクターさんや芸人さんの役割だ。

だからプレゼンの時に「でも俺がロケして編集するわけじゃないからな。面白くなかった時の責任はとれないもんな」とどこか躊躇してしまう。そのせいで少し否定的な意見を言われると、「……そうですよね」とすぐに引き下がってしまう。自分のそんな性格に気づいたのだ。

だが小説家は、アイデア出しもそれを形にするのも自分一人の責任でできる。だからこそ、自分にはこちらの方が向いている。

そういう理由で放送作家をやめてしまったが、一万時間は費やし、まがりなりにもプロとしての実力は身につけた。さらに小説家になっても一万時間は経過している。

放送作家も小説家も比較的なるには難しい職業だ。放送作家と小説家に1万時間費やした人間は、僕が知る限りは日本で数人もいない。あと何か別の分野で一万時間費やせば、確実に日本で一人の存在にはなれるだろう。

自分の経験を照らし合わせて考えてみると、芸人という分野で1万時間費やしたタイミングというのは、次の別の分野へ移行するチャンスの時期でもある。 芸人を一万時間やったという知識と経験に、 また別の職業の経験が加われば、その人はよりレアな存在になれる。

これは芸人に限らない。夢をあきらめるタイミングというのは、この1万時間が目安になるのかもしれない。それは夢を断念するという意味ではなく、 自分をよりレア化できるタイミングなのだ。

 

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作家です。放送作家もやってました。第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、『アゲイン』でデビュー。『22年目の告白ー私が殺人犯ですー』は20万部を超えるベストセラーに。他に『宇宙にいちばん近い人』『シンマイ 』『廃校先生』『神様ドライブ』『くじら島のナミ』『貝社員 浅利軍平』などがある。お仕事(執筆、講演)の依頼は、お問い合わせ欄まで。