『くじら島のナミ』について

育児休暇を3年ほどしていたことがある。

これほど長期間の休暇をとったことにはある理由があった。

まずは友人の作家である本田健さんの影響だ。本田健さんは『ユダヤ人大富豪の教え』をはじめ、数々のベストセラーを執筆している、日本を代表する作家だ。健さんとは付き合いが長く、以前から親しくさせてもらっている。

そんな健さんが、お子さんが小さな頃やっていたのが育児セミリタイヤだ。健さんの話によると、老人が死ぬ間際に後悔することの第一位が、『もっと家族や子供たちと一緒に過ごせばよかった』ということだそうだ。人生の最後の最後に後悔することがこれなのだ。これ以上の説得力はないだろう。

さらにもう一つの理由に、休みをきちんととりたかったということがある。

放送作家というのはとにかく忙しい。僕は放送作家を十年ほどやっていたのだが、その間で長期の休みなどとったことがなかった。若手の放送作家に求められることは、とにかく小回りがきくことだ。長期の休みどころか、一日まるまる休みというのもほぼなかった。

さらに当時は小説家としてデビューもしたので、放送作家と小説家を両立していた。前以上に時間がなかったのだ。

このままではまずい、と僕は内心あせっていた。

というのも、何か功績を残した人というのは人生のある時期に長期の休みをとっているからだ。

休みという表現をしたが、それは会社をリストラされたり、倒産したり、病気や不慮の事故なども含まれる。

例えば、ビートたけしさんがいい例だ。

自分で意図したことではないだろうが、たけしさんはフライデー事件やバイク事故などで、長期に渡って仕事を中断している時期がある。芸能人にとって長期の休みというのは致命的だ。芸能界というのは椅子取りゲームのようなもので、すぐに誰かに仕事を奪われるからだ。

だがたけしさんは、復帰後にさらに活躍を遂げた。この長期の休みが、たけしさんをさらに高い地位に導いたのだ。

たけしさんだけではない。放送作家としての先輩である秋元康さんも、ある時期仕事を中断してアメリカに留学したことがあるそうだ。

その時学んだショービジネスの経験が、今のAKBに活かされている。今同じく放送作家の先輩である鈴木おさむさんが、育児のために仕事を減らされている。推測だが、秋元さんから休むことの重要さを学んだのではないだろうか。

さらに本田健さんにも似たようなことを言われた。

ずっと忙しい人というのは、長期的なスパンで見てみると、結局たいしたことができない人が多いと。

寓話でこんな話がある。ある旅人が森を歩いていると、木こりが斧で木を切っていた。だが一向に木が切れる気配がない。なぜならば斧の歯が丸くなっていたからだ。そこで旅人は「歯を研いだ方がいいですよ」と忠告した。すると木こりはこう答えた。

「刃を研ぐ暇なんかねえよ。俺は早く木を切らなきゃならねえんだ」

忙しいというのは、この木こりのようなものだ。目の前のことに忙殺されるあまり、大切なことが見えなくなっている。

今自分はこの状態になっているのではないだろうか。当時、そんな危惧を抱いたのだ。

ならば、ここは放送作家の仕事をやめて育児に専念しよう。僕はそう決断した。

ところが育児がこれほど大変なものだとは想像すらしていなかった。24時間片時も目を離せない生き物がそばにいる。それがこれほど精神に負担をかけるとは思わなかった。なにが育児休暇だ。これは休暇じゃないだろう。育児ノイローゼになるお母さんの気持ちがよくわかる。

とくにうちの子供は夜泣きがひどかった。一晩中泣き続けるので、うちの奥さんは終始寝不足だった。そこで僕が子供の寝かしつけを担当していた。うちの子供はベビーカーで歩き回らないと寝てくれない。しかも10分20分の短い時間ではない。1時間くらいは必要なのだ。

僕は、夜な夜なベビーカーを押しながら歩きまわる毎日を送っていた。こっちの方が泣きそうな気分だ。子連れ狼の拝一刀の気持ちが痛いほどよくわかった。

そんな風に子育てでへとへとになってる時にあるテレビ番組を見た。それは『くじらVSシャチ』というドキュメンタリー番組だ。

子育て中のクジラのお母さんが、餌であるオキアミを求めて北の海へ向かう。その道中、シャチたちがくじらの子供を狙ってくる。まさに命をかけた旅だ。その様子が克明に描かれていた。

「くじらも子育ては大変なんだなぁ」

その時自分も子育てがきつかったこともあって、くじらに痛く同情した。

その時ふとこんなアイデアがひらめいた。「島のように大きなくじらが人間の赤ちゃんを育てる物語はどうだろうか」と。

くじらというのは海の母とも呼ばれている。いわば母親のメタファーだ。メタファーとは暗喩のことだ。物語においてメタファーは重要な要素となる。(メタファーの重要性について書き出すとめちゃくちゃ長文になるので省略)。

動物が人間の子供を育てる話は数々あるが、母親のメタファーであるくじらが子育てをする話は聞いたことがない。これはいける。そう思い、一気呵成に書き上げた。

僕は小説を書くときは、いつもプロットという設計書を練ってから執筆に入る。だがこの小説に関しては、物語の最初から最後まで一気に頭に浮かんだ。

自分が子育てで得た想いや経験をすべてここに詰め込み、二週間ほどで全部書き終えることができた。

ただ出版社からの依頼で書いたわけではない。ただ個人的に書いたものだ。そのまま原稿はパソコンの中に眠ることになった。

それから3年ほどが経った。子供も大きくなり、ちょっと手を離れた。あの夜泣き地獄からも解放された。もうベビーカーで歩き回らなくていいのだ。ベビーカーを製造するメーカーや小売店の人たちには申し訳ないが、これほど嬉しいことはない。

そんなある日、FacebookでMessengerのやりとりをしていたとき、間違ってある人にスタンプを送ってしまった。出版関係の人とはお会いしたことがなくてもFacebookでつながるようにしているのだが、その方は会ったことのない人だった。

すぐに謝罪のメールを送ると、「お気になさらず」という返信メールがきた。それはとある出版社のA(仮名)さんという方だった。

メールのやりとりをしているうちに、一度食事でもということになった。そこでそのAさんとその出版社の編集者であるHさんをまじえて会うことになった。

そこでAさんが、日本一有名な女性だということを知った。なんとAさんは、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の千尋のモデルになった人だったのだ。

なんでもAさんのお父さんと宮崎駿監督が親交があり、子供の頃から家族ぐるみのお付き合いをしていたそうだ。

その子供のときのAさんを見て、「この子を主人公にした映画を作ろう」と宮崎監督が閃き、『千と千尋の神隠し』を作ったのだ。

まさかあの千尋に会えるとは思わなかった。心なしか一緒にいた編集者のHさんは『カオナシ』に見えてきた。

そこで、「僕もジブリっぽい小説書いてますよ」とつい口をすべらせた。

するとAさんとHさんに、ぜひ読ませて欲しいと言われた。

そこでその食事会が終わるとすぐにメールで原稿を送った。すると翌朝にはもう読んでくださり、熱い感想とともに「これをぜひ出版させてください」というメールが届いた。出版が八時間で決まったのははじめてだった。

その作品が、この『くじら島のナミ』です。千と千尋の千尋が出版に導いてくれた本です。そう思うとなんかすごいでしょ。

ゆくゆくはアニメ化になってほしい。壮大なくじらのジマと海を映像で見たい。もしできることならばあのスタジオで……。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

作家です。放送作家もやってました。第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、『アゲイン』でデビュー。『22年目の告白ー私が殺人犯ですー』は20万部を超えるベストセラーに。他に『宇宙にいちばん近い人』『シンマイ 』『廃校先生』『神様ドライブ』『くじら島のナミ』『貝社員 浅利軍平』などがある。お仕事(執筆、講演)の依頼は、お問い合わせ欄まで。