以前から『本を巡る物語』を書きたいな、と考えていた。ただ作家や書店員を主人公にした小説は、世の中にたくさん存在する。
そのまま書くのは面白くない。違う切り口がないかな、と思案したがいいアイデアが中々思いつかない。そういうときは、一旦頭の引き出しに入れて宿題にしておく。そうすると、また時間が経ったときに思いつくことが多々あるからだ。
そんな折、『22年目の告白』という映画を小説にするという話が舞い込んできた。時効を迎えた殺人犯・曾根崎雅人が、殺人の告白本を出版するという衝撃的なストーリーだ。
最初にあらすじを聞いた瞬間、以前頭の中の引き出しに入れた宿題の答えはこれだと閃いた。まさか自分で思いつかずに、こんな形で答えが導き出されるとは。テスト中に問題がわからず頭を抱えていたら、隣にいる美人の優等生が、こっそり答案を見せてくれたような気分だった。
ただこれには問題があった。映像と小説の違いに、視点における感情表現というのがある。 小説では登場人物の視点を通して感情を書き込むことができる。 いわゆる語り部というやつだ。登場人物が今何を感じているか、何を考えているかを詳細にあらわすことができる。それは小説の魅力の一つでもある。
けれど今回の場合は、主人公である曽根崎を語り部にはできない。曽根崎はミステリアスで、ある秘密を抱えた人物だからだ。曽根崎に視点を与えるとそのミステリアスな部分がだいなしになる。
脚本を読み込んでいくと、とある一人のキャラクターが目にとまった。曾根崎の告白本を編集する、川北未南子という編集者だ。映画では端役で、ほんの数シーンしか出てこない。
だが小説の『22年目の告白』では、彼女を主人公に昇格させた。彼女のキャラクターを再構築し、その視点を通すことで、自分が書きたかったことを表現できる。さらに彼女を語り部にすることで小説としての表現が深まる。まさに一石二鳥だった。
本好きという要素を加え、主要人物全員が読書家という設定にした。
殺人犯の告白本……。
本好きならば複雑な一冊だ。現実に殺人犯の告白本が出版され世間の話題を集めたこともある。
この一冊を通して、本とはなんなのかを自分の胸に問いかけた。その答えを探しながら筆を進めた 。
そしてその想いをすべて込めるために映画にはないエピローグを追加した。
この映画は、最高級のトンカツみたいなものだ。そして僕は、そのトンカツを小説という名のカツ丼にしてみた。トンカツの味を損なわないように、かつ最高のカツ丼になるように調理したつもりだが、果たしてどうなっただろうか?
その結果は、みなさまの舌にお任せします。
曽根様もおすすめしてくれてますよ。
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