学生の頃、ネットカフェでバイトをしていた。
暇な時間にマンガが読めるという極めてゆるゆるな理由で働いていたのだ。当時のネットカフェはまだまだ一般的ではなく、漫画喫茶の延長のような形態だったので、そんなことがまだ許されていたのだ。
おかげでかなりのマンガを読めた。現在、作家業をする上において血肉になっているので、とてもいいバイトだった。
その店はビリヤードや卓球台もあった。ビリヤードは普通の形なのだが、卓球台はちょっと変わっていた。
四角ではなく円形なのだ。なんでも四人で対戦できるように作られたものらしい。これを考案した方及び、そのご家族ご親類の方々には申し訳ないが、
「なんでこんなもの作ったんだ」
と首をかしげる代物だ。
円形の卓球台などやりにくくてしかたない。ビリヤード台はよく遊ばれていたが、この卓球台は誰も見向きもしなかった。
『ビバ卓球台!』という世界初の卓球台主人公マンガがあり(百パー三週ほどで打ち切りだと思うが)、普通の四角の卓球台とこの円形の卓球台が会話をしているとすれば、
「いいよな、おまえは四角で……俺なんか丸だぜ……」
と円形卓球台がため息をつくシーンが必ずあるだろう。それほど人気がなかったのだ。
ところがそんなある日だ。
店に四人組の男があらわれた。
半袖半ズボンのユニフォーム姿で、手にセカンドバッグを持っていた。四人とも陽気で、あまりこの店には似つかわしくない。この店のお客さんというのは、部屋で爆弾を作ってそうな人か、文化祭で誰も興味がない謎の展示物をする人の二択だ。
その中の太り気味の男性が尋ねてきた。
「兄ちゃん、この店卓球台あるんか」
「ありますよ」
「そうか、あるんか。助かったわ。さっき卓球場行ったら休みやってな。どうしようかと思ってたらこの店の看板見つけたんや」
彼が嬉々として言った。
なるほど。この四人組は卓球愛好者のみなさんなのだ。あのセカンドバッグの中身は拳銃ではなく、卓球ラケットらしい。
「卓球台空いてるか? できるか?」
「空いてます。入店するには会員登録が必要になりますがよろしいですか?」
「かまへん。かまへん」
「では登録用紙にご記入お願いしします」
四人組のおっさんは笑顔で用紙に記入をはじめた。
「今年平成何年やったっけ?」
と僕の中の会員登録あるある台詞が飛び出すなど、見ていて楽しいおっさんたちだ。
その用紙をあずかると、「卓球台はあの扉の奥にありますので。ごゆっくりどうぞ」と頭を軽く下げた。
「そうか。これからもちょくちょく利用させてもらうわ」
「ありがとうございます」
そう礼を言うやいなや、おっさんたちはわいわいと奥の部屋に向かった。
登録情報をパソコンに入力するか、とキーボードを触ろうとしたそのときだ。
おっさんが舞い戻ってきて、カウンター越しに僕に向きなおった。その目はなぜかうるんでいる。
「……どうされましたか」
警戒しながら尋ねると、おっさんが叫んだ。
「おまえ……卓球台丸いやないか!」
そこではっとした。そうだ。うちの卓球台は丸いということを伝えるのを忘れていた。普通の人でも見向きもしない円形卓球台なのだ。こんな卓球愛好家のおっさんならば邪道以外のなにものでもない。
「あんなもんで、あんなもんで卓球できんやろ……」
おっさんは泣き出した。
怒りよりも卓球ができない悲しみの方が上回ったらしい。
卓球で泣くおっさんがこの世にいるのか……。
何か新鮮な発見だった。ペニシリンを発見したイギリスの医者もこんな気分だったのだろうか?(いや、きっと違うな……)。
世の中にはいろんな人がいるという言葉が身にしみてわかった。このおっさんの心理を小説で描写しても共感ゼロだろう。編集者から間違いなく赤が入れられている。
僕は黙っていた。
丸い卓球台で泣くおっさんになんて言葉をかければいいのか。そんなことは店のマニュアルには書かれていない。僕はバイトに関しては、決まり通りのことしかやらないジャパニーズスタイルだった。だがどんな百戦錬磨のマニュアルの作り手でも、この状況は想像外だろう。
そしておっさんより泣きたいのが、この円形卓球台だろう。ビバ卓球台!がアニメ化されたとしたら、
「おっさんが号泣する俺の存在意義って一体……」
とちびまるこちゃんのように顔に縦線が入り、キートン山田が〆のナレーションが入れただろう。
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